初期キリスト教

宗教とパラダイムの大転換

 私はこのブログに記事を書くに当たって、皆さんに申し訳ない言い方をしたのではないか、と反省しています。それは、私が皆さんの覚醒が足りないからオバマ大統領がETの実在の公表を延期した、と言った事です。一般の人が覚醒が足りない、と言われれば少し知能の発達が遅れている、と受け取るのは当然です。そこに私の言葉足らずがありました。

 覚醒が足りない、というのは決して知能の発達が遅れていることを指しているのではありません。むしろそれは逆です。現代地球に生存する殆どの人は、教育水準や、知能のレベルなど、そのいずれから見ても過去の地球のどの時代に生きた人類よりも優れています。それは疑いようのない事実です。ですが、私が言いたかったのは、そういう事ではありません。それは、ある特定の人たちによって歪められ、真実を覆い隠された現実を、意図的に生きさせられ、言葉を換えて表現するなら、「自動操縦」によって人生を送らされてきた、そういう事を言いたかったのです。その意図的に作り上げられた「自動操縦」のような生き方は、人生のあらゆるところに行き渡っています。そのいちいち覆い隠されてきた真実をすべて暴露して、皆さんにお知らせするのは、大変な作業になります。

 その一つの分野が宗教なのです。いま現存している世界の大宗教はすべて真実が改竄され、宗教の開祖と言われる人たちが当初唱えていた教えとは全くかけ離れたものになっているのです。その代表がキリスト教です。私が言いたいのは、そもそものキリスト教は、教会組織を持たない、また経典である旧約・新約聖書も、当初とはかなり変更された布教と伝道に都合のよいように改竄されたものです。これは、キリスト教に止まりません。仏教もそうです。特にキリスト教はこの前に取り上げた、教会主義正統派キリスト教徒と、グノーシス派とが、凄惨な勢力争いを演じてきた歴史が厳然として存在するのです。特に、グノーシス派は徹底的に弾圧され、抹殺されつくし、護持する教えの基本である殆どのテキスト、文書類が焚書や破壊によって歴史上姿を消したのです。その結果、宗派の真髄が失われ、研究さえまともに行われてきませんでした。やっと近年、各地の遺跡や埋設物の中から奇跡的に発掘され日の目を見るようになったのです。その典型が、ナグ・ハマディ・コーデックス(写本)なのです。このナグ・ハマディ写本と似たようなケースが1970年代に発見された「ユダの福音書」というものでもあります。

 この様なキリスト教の歴史を調べて行くと、そこに思いがけない真実が見えてきます。それが従来のバチカンを中心とした教会主義のキリスト教の姿との大きな違いなのです。その典型的な相違が、神という存在を教会と言う組織の中に見出すのか、あるいは自身の中に発見するのかという根本的な思想の違いに現れているから、問題なのです。この事を述べ始めるととても少数の紙数では無理ですから、いつか機会があれば皆さん自身で研究してほしいのですが、つまりは、これまでのキリスト教は世俗支配のために堕落してしまった教義に堕ち込んでおり、聖典、教会組織、自身を罪人と認める告白とによって、宗教自体を維持してきたのです。

 この考え方には異論もあるでしょう。特にキリスト教を信仰してきた人には違和感が否めない筈です。しかし、この事は多くの歴史学者や、神学者が認めていることなのです。だがしかし、信仰と言う規範から物事を見るとき、歴史的事実とは相容れない面があります。ここが一つの矛盾点です。日本の仏教でも同じことが言えます。要するに、理屈ではないのです。前にご紹介したエレーヌ・ペイゲルスという人物も、別の本で告白しています。「禁じられた福音書―ナグ・ハマディ文書の解明」という本の中で、氏はこう述べています。

 …この選択という行為――異端 heresy という語のもともとの意味――は、私たちをあの問題に立ち返らせる。それを解決するために正統教義というものが作り出された、あの問題だ――如何にして真理と虚偽とを見分けることができるか。何が本物であり、私たちをリアリティに結びつけてくれるものであり、そして何が浅薄で利己的で邪悪なものなのか。神の真理の名において行われてきた愚行、感傷、欺瞞、殺人を見てきた人は、古代人が霊の識別と呼んだ問題に容易な答えなどないことを理解しているだろう。正統教義は、このような識別を行う私たちの能力を疑う傾向があり、私たちの代わりにそれを行ってやると主張する。だが人間には自己欺瞞という能力が与えられている事を鑑みれば、ある程度までは、教会に感謝することもできよう。私たちの多くは、困難な修行など忌避して、ただ伝統の教えるところのものを喜んで受け入れたがるものだ。

 だが、簡単な答えなど得られないという事実は、その問題を避けてもよいということを意味するわけではない。私たちは、宗教的権威を疑問なく受け入れることによって引き起こされた危険を――あるいは恐るべき害悪をさんざん見せつけられてきた。私たちのほとんどは、遅かれ早かれ、人生の重大な局面において、誰もいないところに自ら道を切り開かねばならないということに気がつく。私が、私たちの宗教伝統の豊かさと多様性の内に――そしてそれを支える共同体の内に――愛するようになったものとは、そこに数え切れない人々の霊的覚醒の証言があるということだ。だからそれは、イエスの言葉を借りれば、「求め、見出さん」と努力する人々を力づけるのである。

 長い引用になりましたが、何と含蓄の深い言葉ではないでしょうか。

 最後にまとめをしておきます。このように、伝統的教義とはバチカンを典型としています。そのバチカンは、ある点からみれば、邪悪な教会組織です。しかし、エレーヌ・ペイゲルスの言葉にあるように、自己欺瞞によって正当化されてきた面も見逃せません。しかし、このままでは新しい時代は迎えられないのです。それこそがパラダイムの大転換であり、真実の発見なのです。多分、私たちは時代の転換点の一番大切な所に立ち会っています。我々の役割は重要なのです。やはり、水がめ座の象徴である「時代の転換」には、その前に、破壊が避けられないのです。バチカンは破壊されます。聖マラキの預言にもそのようなものがありました。(終)

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グノーシス思想の真髄を伝える異端の書「トマス福音書」

 私が今日書こうとしている内容は、今から1900年以上も前に書かれた思想です。しかし、よく考えてみると、2000年なんて、人類がこの地球に現れた数百万年以上という歴史からみると、ほんの一瞬に過ぎません。まして、地球の100億年という悠久の歴史からも気の遠くなるような時間を隔てています。いったいその時間の経過のはざまで何があったのか、誰にも分かってはいないのです。たかだか人類の歴史なんて、生きている地球から見れば時間なんて経過していないのも同然なのです。それを考えたら、2000年前でもほんの昨日の出来事のように思えます。

 ですが、われわれ現実に生きている人間にとって、2000年という年月は悠久とも思える時間である事は重々承知しています。それはなぜか。言うまでもない事ですが、たかだか人類は生きても100年という短期間で命を終えるからです。しかし、キーはここにもありそうです。私が、ナグ・ハマディ写本に注目したのかは、この点にもあります。実は、本当は人間は死ぬのではない、ただ単に存在を換えるだけだ、と、そうはっきり「トマス福音書」に記述されているからです。これをこれから詳しく見て行く事にしましょう。

 実は、先日このブログで私の友人の事をお伝えしました。「人間は死ぬのではない、ただ存在を変えるだけだ」、と言ったら、その友人は目を剥いて、「お前は気違いだ!」と言った事です。でも、普通の感覚では、そう言われたら、その人は気違いだ、と思うのは当然です。私がその友人を軽蔑した、と言ったのは、その前後の私の話をまったく聞いていないか、無視していたからです。人の話を良く聴くと言うのは、その人の人柄や前後の説明をも含めて総合的に聴く、という事に他なりません。特に誤解を受けそうな内容を話すときには、その辺のところを踏まえた上で、慎重に話す筈です。

 ですから、私の話を良く聴いていれば、軽々にお前は気違いだ、などとは言えない筈なのです。しかし、たいていの人は、常識を外れた内容の話を聴いた時、瞬間的に、この人は頭がおかしいのではないか、と思うのも事実です。話す方は、それも承知の上で話しているのにも関わらずです。

 なぜ、こんな事をくどくど書くのか、それには理由があります。それは、このグノーシス思想の真髄を伝えているナグ・ハマディ写本の、「トマス福音書」も、最初にこれを聴いた初期キリスト教信者たちは、果たして正しく理解できただろうか、疑問に思うからです。多分、理解できなったのではないか。そう思ったのは、実は私ではありません。後世のキリスト教神学者たち、特に有名なのは、「異端反駁」というグノーシス派を批判した5巻にも亘る論駁書を書いた、エイレナイオスという正統派キリスト教の司教が有名です。

 グノーシス、とはギリシャ語で認識と言うほどの意味です。しかし、私はもっと進んで、「悟れる者」という意味に受け取っています。これは、生けるイエスが弟子に語った隠された言葉を、ディディモ(双子の)ユダ・トマスが書き取って記録したものである、と私は前回お知らせしました。そして、次の驚くべき言葉がイエスから発せられているのです。

 【1、そして、彼が言った、「この言葉の解釈を見出す者は死を味わう事がないであろう」】

 【2、イエスが言った、「求める者には、見出すまで求める事を止めさせてはならない。そして、彼が見出すとき、動揺するであろう。そして、彼が動揺するとき、驚くであろう。そして、彼は万物を支配するであろう」】

 【23、イエスが言った、「私はあなたがたを、千人から一人を、一万人から二人を、選ぶであろう。そして、彼らは単独者として立つであろう】

 【24、彼の弟子たちが言った、「あなたがおられる場所について教えてください。なぜなら、私たちはそれを探すことが私たちに必要だからです」。彼が彼らに言った、「耳ある者は聞くがよい。光の人の只中に光がある。そして、それは全世界を照らしている。それが照らさないならば、それ(彼)は闇である」】

 【42、イエスが言った、「過ぎ去り行く者となりなさい」】

 【50、イエスが言った、「もし彼らがあなたがたに、『あなたがたはどこから来たのか』と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。そこで光が自ら生じたのである。それは自立して、彼らの像において現れ出た』。もし彼らがあなたがたに、『それがあなたがたなのか』と言うならば、言いなさい、『私たちはその(光の)子らであり、生ける父の選ばれた者である』。もし彼らがあなたがたに、『あなたがたの中にある父のしるしは何か』と言うならば、彼らに言いなさい、『それは運動であり、安息である』と」】

 私はこう思っています。これらの言葉を語ったイエスは、実在した生けるイエスである、と。そして、これらの言葉は、五次元に次元上昇した存在のマスターとして語ったものではないか、と。

 エイレナイオスを始めとする、異端反駁を繰り返し、教会の世俗権力を擁護した正統派のキリスト教徒たちには、とうてい理解できない内容であった、と。

 きのうご紹介した本の著者、エレーヌ・ペイゲルスはこう述べています。「…(前略)ほとんどすべてのキリスト教徒は、カトリックであれ、プロテスタントであれ、オーソドックスであれ、三つの基本的前提の上に立って来たからである。第一に、新約聖書の聖典を受容していること、第二に、使徒的信条を告白していること、第三に、教会制度という特定の形態を肯定していることである」

 基本的にこの三つの前提こそが、宗教としてのキリスト教を今日に至るまで歪めて来たのは明らかです。シリウスのサ・ルー・サという存在が言おうとしていた内容はその事ではないかと私は思っています。(続く)

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ナグ・ハマディ写本

 11月27日は公式発表もなく、人類にとってはまるで何事もなかったかのように一日が過ぎ、ET公表の真実を発表するという噂を聞いていた人も、期待していた人も、まぁ、そんな事、ある訳はないよな、と自嘲気味に、またある人は馬鹿にしてらぁ、と怒っている人も、様々でしょう。

 ですが、ちょっと待ってください。事はそれほど単純ではなさそうです。この出来事(何も起こらなかったんですから出来事とはいえませんが)のウラには何かがありそうです。それは、今度のイベントが起きそうになったのは、アメリカ政府が強力に関係している、という事と、バチカンです。

 皆さんはバチカンはどうして強力な勢力を保って今日まで歴史を積み重ねてきたか、理由をご存知でしょうか。それは、初期キリスト教がその成立と発展の段階で、大きな二つの教義を巡る争いを経験し、一方は自身の中に神を見出すことに真実を発見したがために、徹底的に弾圧と抹殺を繰り返され、完全にキリスト教の歴史の舞台から封印され消されてしまったからです。

 これは、はてどこかで聞いたような話だが、と気が付かれた方は大変な直感の持ち主です。そうです。かのシリウスの、サ・ルー・サのメッセージにたびたび語られている、皆さんの中には完全な神の分身が宿っている、と言う事とまったく同じ意味なんです。つまり、彼ら宇宙人は、既にキリスト教の初期の段階で、人類の多くの人々がそれに気付いており、それを実践しようとしたために、ある邪悪な存在から邪魔をされ、徹底的に弾圧された、という歴史があった事を示しているからです。

 つまり、何が言いたいかというと、今回の延期は、理由として残された一つに、人類の覚醒がまだ足りない、という事なのです。

 サ・ルー・サは何時かのメッセージで、宗教の関わりと人類の覚醒について問題が残っている、という意味の事を述べていました。これは大変意味の大きい言葉なのです。

 話を戻しましょう。皆さんは、聖書に書かれた文章を、特に新約聖書の中身を疑ったり、まして改竄されているなどとは、考えても見た事が無い筈です。それは日本ではいざ知らず、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどのヨーロッパ文化圏に生きてきた人達に取っては大変大きな問題なのです。日本の仏教どころの騒ぎではないのです。イスラム原理主義者の事が話題になっていますが、原理主義はキリスト教が最も強烈で、かのブッシュ元大統領も熱烈なキリスト教原理主義を信仰しているのです。隠されていない公然の秘密として、オバマ大統領が名前の中にイスラムの信仰らしき名前を含んでいるのはそこにも理由があるのです。

 今回のこのブログでは、この秘密に迫り、なぜ人類の覚醒が必要なのか、その理由と経緯を何回かに分けて書いて行こうと思います。

 事の発端は1945年に起きました。この年の12月、一人のアラブ人の農夫が上エジプトで考古学上驚くべき発見をしたところから始まります。まったく偶然に、土の中に埋まっていた壺の中から古代キリスト教の古文書が発見されたのです。これを「ナグ・ハマディ・コーデックス(写本)」と言います。

 このコプト語で書かれた文書の最初の一行にはこう書かれていました。「これは隠された言葉である。これを生けるイエスが語った。そして、(イエスと)双子の(兄弟)ユダ・トマスが書き記した」

 ついで、「生けるイエス」が、禅の公案のように、不可解な、人を引き付けるような言葉で語っている、と述べています。

 イエスが言った。「あなたがたがあなたがたの中にあるものを引き出すならば、それが、あなたがたを救うであろう。あなたがたの中にあるものを引き出さなければ、それは、あなたがたを破滅させるであろう」

 私は今から7~8年近く前からこの文書の存在に気付き、注目してきました。それが、今回のET存在の発表と宇宙人存在の秘密が公表になりそうな機会に、火が付いたのです。この「トマスの福音書」と一連のグノーシス文書には「死の克服」さえ可能である、という意味の記述があった筈です。それをこれから再度読み解いて、皆さんにお知らせする積りです。

 この「ナグ・ハマディ写本」の著者は、エレーヌ・ペイゲルスというアメリカ人です。日本語訳の出版社は白水社です。まだ版を重ねているはずですから、注文すれば手に入ります。

 それから忘れないうちに書いて置きます。地下世界からチャネリングして伝えられている「テロス」のアダマという人物がたびたび言及している、メルキセデク、またはメルキゼデクという宇宙の神のシステムは、これらの一連のグノーシス思想の中に含まれている、という事です。

 

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