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現代は光が勝り、影がだんだん薄れて行く時代である

 先ほどの記事で、重要な事を書き忘れていました。

 それは、現代は光が勝ってくる時代であり、反対に影が薄れて消えて行く時代である、という事です。

 いうまでもなく、光が増してくれば、光が常に当たっているところが増えて、影が消えて行く訳であり、感覚的には闇が消えて、これまで隠されて来た真実が明るみに出されるという事です。

 つまり、顕現の作用というものが強くなり、誤魔化し、騙し、悪さをすれば直ちにバレるという事です。先日の相撲協会の八百長問題もその一例です。

 政治の世界でもそれが顕れます。自民党が衰退し、民主党が台頭したのもその例ですが、残念な事に、反革命とも言うべき反動が起こり、それに乗じて菅氏が政権を握りました。今日の世論調査では、自民党が盛り返しているように報じていましたが、流れとしてはそんな事は起り得ません。もし起こるとすれば、それは、まだ新時代を迎える準備が出来ていないという事です。

 しかも、これは所詮は反動に過ぎず、いずれ早い時期に真の旧勢力を糾弾する政治勢力が台頭するでしょう。それは多分、時間を置かずに実現する筈です。

 いずれにしても、これからの世の中は光の勢力が力を増し、影は次第に勢いを失う運命にあります。

 因みに、原発推進派は闇の勢力の発現であり、自然エネルギー推進派は光の勢力なのです。

 これからの黄金時代は、自らを浄化し、光が常に当たっているように努力しなければなりません。それが自らを救うのです。原発推進派に不正はさらに表面化するでしょう。

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コメント

日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと住んでいる。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくるから不思議である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


投稿: noga | 2011年5月 2日 (月) 03時56分

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