今日は日曜日でしたが、国会も参議院で予算委員会が開かれるなど慌ただしい雰囲気の日曜日でした。
しかし、このような時こそ、偶には立ち止まって、じっと時代を振り返り考える時間を持ちたいものです。
最近、特に話題になっているのが脱原発、あるいは反原発の動きです。これはなぜ起きているのか、多くの人が観念的に捉えているに過ぎないと私は思います。それは、世の中がすべて金儲け主義に走ることへの反省だと思いますが、果たしてそれだけでしょうか。
考えて見るまでもなく、我々は資本主義の時代に生きています。資本主義とは、世の中をカネで動かす時代だと言えます。ところが、この資本主義が根本的に行き詰まって来た、とは言えないでしょうか。即ち、カネを持っているものが世の中のすべてを動かし、自由気ままに出来る、という事ですが、どうもそれが叶わなくなってきたのではないでしょうか。
原因は、原発にあります。つまり、原発は一端事故を起こすと、どれほどカネが自由になろうが、どれほど権力を持っていようが、どうにもならないのです。
そういう意味で、今こそ資本主義は破綻したのだ、と言えるのです。今の東電の取っている苦闘と原発災害に立ち向かっている姿を見ているとその感が強くします。東電の社長や会長が年間どれほどの報酬を得ていようが、そんなものはものの役には立ちません。彼らは例えば一年間の報酬を無にしても直ちに原発事故が終息するのなら、躊躇なくその報酬を擲ってでも原発事故を終息させる方を選ぶでしょう。
ところが、それは叶わぬ願いなのです。人類のテクノロジーはまだ完全に原子力をコントロールする所には至っていないのです。これは資本主義などという人類の主義主張を超えた、遥か遠くの所に存在するテクノロジーなのです。
ここで、振り返って見てください。我々はとんでもない袋小路に落ち込んでしまったのではないのか、と。
この問題は、資本主義はもう終わった事を示しており、次なる時代へ移行すべき時を迎えているのです。即ち、パラダイムの大転換です。
そして、この時代には我々がこれまで行って来た事、戦争や生命の虐待、自然を蔑ろにして来た事、それらのすべてのツケを始末し、カルマの清算を迫られているのだと思いませんか?
我々はいま、生みの苦しみを味わっています。来るべき新時代は、素晴らしい時代になる代わり、その時代に適合しない、人間や諸制度は次々と淘汰され、滅びて行く運命にあるのだと思われませんか?
そういう意味で、今は大変残酷な時代であり、急速に移り変わって行く過酷な時代なのです。
つまり、世論調査を行っても、約半分の人が原発の存在は仕方がない、出来る事なら共存共栄を図って行くしかない、と思っているのは頷けます。理解する、しないは関係ないのです。これは、、こう思っている人は次の時代に生き延びて行けない事を示しているのです。
我々は大きな岐路に立たされています。この時代には妥協というものは存在しないのです。ただ、受け入れるか、受け入れないか、の違いだけなのです。容赦なく時代は動いています。厳しく言えば、もう地球は限界まで来ているのです。地球は生きた存在です。現在に至るまで、地球は人間のなすがままに赦し、その行為を認めて来ました。それが化石燃料の濫費であり、原子力エネルギーの濫用だったのです。
今度の福島第一原発の事故はその象徴でした。もし今度の事故が無事終息しても、後に残った膨大な原発廃棄物、即ち死の灰はどう始末するのでしょうか。我々は、その問題を突き詰められたまま、新しい時代をく迎えなければならないのです。
資本主義が破綻しているもう一つの理由は、エネルギー問題です。人類は儲けに繋がらないエネルギーはテクノロジーとして認めず、徹底的に排除して来たのです。その象徴が、化石燃料であり、原子力なのです。聡明な天才たちは今から100年以上も前に既にそのテクノロジーを開発して来ました。世の資本家たちや権力者たちは、その事実を必死になって隠蔽し、庶民から隠して来ました。いまや、それが綻び出したのです。
原発はもう終わりです。これから先、人類は直ちに世界各地に存在する原子炉を停止し、放射能の拡散を止めなければなりません。その方法は必ず見つかります。要するに、この事態を認めるか、認めないか、しかないのです。
時代の変化は容赦なくやってきます。我々は、それを受け入れるか、受け入れないか、しかないのです。
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