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菅首相、政治主導の方向性修正?

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110122/plc11012200240003-n1.htm

 菅首相が政治主導という大看板を下ろしました。しかし、これは大変な変化であり元に戻った先祖返り現象とも言うべき政治の劣化です。政治というものは政治家が主導するものです。そうでなかったら政治家なんて必要ありません。

 確かに、言わんとする事はわかります。政策の決定過程において官僚を排除しようというのは絶対的に正しい選択です。本来官僚というものは政治家を補佐し補助けるために存在するのです。官僚のするべき補佐の仕事を取り上げて、何でもかんでも政治家だけでやろうとした事に問題があったのです。高級官僚に高額な俸給を税金で支払い、あまつさえ退職後の天下りを斡旋するのは確かに行き過ぎです。

 官僚は厳しい試験を経て登用されます。大昔、中国には「科挙」という官吏選抜試験が存在しました。古代中国の繁栄はある意味でこの科挙試験があったからこそ成し遂げられた面があります。

 それは現代でも同じです。優秀な人材は東大やその他の有名大学に進学し、成績優秀をもって更にその上の上級公務員試験に合格しなければ高級官僚には採用されません。

 そのようにして選抜に選抜を重ねて選び尽くされた人材を、敢えて無視して仕事に関わらせないようにしたのが今までの菅内閣の政治主導の意味だったのです。それを反省したのは確かに正しい選択です。

 しかし、それは本来政治家がすべき仕事を官僚に任せるという事ではない筈です。政治主導というのは決してそういう意味ではありません。

 本来政治家のやるべき仕事を政治家が責任をもってやり、尚且つ官僚は事務方として政治家を補佐し、助けてこそ国全体がうまく機能し、国民の幸福に繋がるのです。何でも一方的に偏ってはいけません。

 菅内閣は、政治主導という看板を下ろしました。ですが政治家がしなければならない仕事をしなくて良い、という事では決してありません。

 枝野官房長官は、政治主導という事を言わなけりゃ良かった、と述べているそうですが、それもある意味ではおかしな話です。うわべだけ見て物事を判断してはいけません。本来は政治というものは国の重要なコントロールを行うのが仕事であり、そのために官僚が存在し、使いこなしてこそ機能を発揮するのです。先の尖閣問題で、本来政治家がしなければいけない政治的判断を、単なる地方の事務方に過ぎない那覇地検に責任を押し付けたのはその悪例です。あれでは政治家が何のために存在し、内閣が何のためにあるのか分からなくなります。単なる逃げに過ぎない責任放棄です。

 これまで、日本では古い悪習が存在しました。政治家を無視して、実質的には、すべて事務次官が政府(内閣)の仕事を行っていたのです。事務次官会議がその例でした。政治家が閣議を組織し、その中心に総理大臣が存在します。しかし、今までの日本の場合は違うのです。閣議は開かれますが単に了承の機関だけだったのです。実質的にはすべてその前に開かれる事務次官会議で決められていたのです。

 このように閣議はあくまでも形式でした。閣議が終了すれば、その時点で、直ちに形式上の閣議は終わった事になり、閣議後の会議は全閣僚が揃っていても閣僚懇談会というものに変わります。ここでは、たとえその閣僚懇談会の場で決まった事でも、閣僚懇談会には実質上何の権限もないのです。あくまでも任意の懇談会でしかありません。

 それを変えようとしたのが小沢氏であり、これが政治主導の本質です。だから政治家の本来の機能を取り戻し、政治家がすべき仕事をするというのが政治主導の本来の意味です。ですから、従来の事務次官会議こそ何の意味もなかったのです。だからこそ事務次官会議を廃止したのです。

 この経緯は、従来の閣議が、戦前の天皇陛下が国事の最高決定者である、という思想に基づいて開かれていたという考え方にありました。戦後それが国民主権になり国民がすべての主権者である、という考えに変わったのです。しかし、システムだけはそのまま温存されていた訳です。つまり、政権交代の真の意味はそこにあった訳です。

 それを安易に政治主導だと言ってしまったために誤解が生じたのです。

 これから本来の政権交代の意味が問われ、政治主導の真の意味が問われ直すでしょう。菅政権は、そういう意味で先祖返り内閣です。自公連立政権以前の古いスタイルに戻ろうとしています。それでは政権交代の意味がありません。

 政治主導と国民主権、これこそ本来の健全な政治の在り方です。だからこそ菅内閣は「国民の生活が第一」というスローガンを引き摺り下ろしたのかもしれません。

 このような時代錯誤的な菅内閣の打倒こそ、真の国民主権の樹立に必要なことなのです。

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コメント

最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。


考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2011年1月22日 (土) 22時08分

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