« 死刑廃止論者の千葉法務大臣が死刑を執行! | トップページ | 核の抑止力というのは妄想の理論 »

広島の原爆の日に想う

 今日は広島に原子爆弾が投下された日です。そこで、ひとつだけ言いたい事があります。原爆投下は人類の残虐行為の最たるものです。しかし、日本はこのようなアメリカ合衆国の行為に対して、戦後一貫して抗議をして来ませんでした。この事については、賛否両論あり、国論も分かれていると思います。しかし、一方で抗議してこなかったのはひとつの見識なのです。

 ですが、割り切れない想いがひとつだけあります。それは、日本が犯罪者の最終処罰としての死刑制度を廃止していない事です。死刑制度は「眼には目を」という因果応報、報復の手段として極悪非道の犯罪行為に対して最終的に下されるものです。

 しかし、戦争においてはいかに極悪非道な行為をしても、戦勝国であれば罰せられる事はありません。戦争犯罪という言葉はありますが、戦勝国に対して適用される事はほとんどありません。

 日本がなぜ原爆投下に抗議してこなかったのか。たくさんの非戦闘員を殺害した史上稀に見る戦争犯罪行為であったにも関わらず、です。それも私はひとつの見識である、と言いました。

 それは、原爆投下が報復として罰せられたらどうなるのか、という意味を含めてのいいかたであって、もし、原爆投下が報復されたら、世界は核戦争の連鎖という終わりの無い、悪夢を迎えるしかないからです。繰り返してはなりません、という被爆者の願いはそこにこそあるのです。無益な戦争を止めましょう、という究極の平和への願いが込められているのです。

 しかし、このような日本で、どうして死刑制度が存続しているのでしょうか。つい先日も、千葉法務大臣が自分のこれまでの持論を翻してまで死刑執行を行いました。それも、自分で見学までしたというから驚きです。なぜこういう事がいまだに行われているのか。

 一人の犯罪者は死刑に処せられても仕方がないが、何万人という無辜の市民をいきなり抹殺されても、犯罪に問われないのは矛盾しています。犯罪は犯罪です。しかし、これを繰り返したら、人類は底のない報復地獄に陥ってしまいます。そういう意味で、日本が敢えてアメリカに抗議してこなかったのは意味があることです。

 結果はそうではない、単に敗戦国である、という負い目と、日本が起こした戦争であるから仕方がない、という思い込みがあるとしたら、それは間違っています。アメリカに遠慮しているだけだ、としたら何をかいわんやです。

 そうは思いたくありません。だとしたら、究極の罰としての死刑も制度として廃止するべきです。人間が人間を殺すことの無意味さ、報復や罰としての殺人は行為として許されないのです。

 世界では、既に大多数の国が死刑制度を廃止しています。ただし、中国やアメリカなどの大国ほど残しているのです。これは何を意味しているのでしょうか。こういう国は、人を犯罪者として殺しても仕方がないと思っている国なのです。

 もうそろそろ、日本も死刑制度を廃止し、犯罪者といえども罪を他で償う方法を考えたらどうでしょうか。

 もちろん、これには反論もあることでしょう。しかし、人類が新しい黄金時代を迎えるためには、人が人の命を奪うという死刑制度はあってはならないのです。今日の広島の原爆の日に当たってこういう事を想いました。

|

« 死刑廃止論者の千葉法務大臣が死刑を執行! | トップページ | 核の抑止力というのは妄想の理論 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1217756/36051797

この記事へのトラックバック一覧です: 広島の原爆の日に想う:

« 死刑廃止論者の千葉法務大臣が死刑を執行! | トップページ | 核の抑止力というのは妄想の理論 »